怪獣を殺した、そのあと。
皆さんは子供の頃、ウルトラマンやゴジラを見たことがあるだろうか?
世代やお住いの地方によってはテレビ放映されていなかったり、映画でしかみたことなかったりと様々だろうが、まったくない、という人物は少ないのではないか。
巨大な怪獣やヒーローがブラウン管の上を、あるいはスクリーン上を所狭しと暴れまわり、取っ組み合い、ド派手な光線技や火炎放射を撃ち合い、それががぼくらを夢中にさせた。
2016年公開の作品である『シン・ゴジラ』が日本映画界に高らかに怪獣映画復活の凱歌を歌い上げ、その後も『ランペイジ 巨獣大乱闘』などのハリウッド作品も海を渡って来日し、毎年のようにウルトラマンはテレビシリーズの新作を作り続けている。今もなお怪獣と巨大ヒーローはぼくらの憧れであり続けているのだ。
昨年(記事執筆時点で)の2022年に、ある怪獣映画が公開された。タイトルは
『大怪獣のあとしまつ』
これまでおよそフォーカスされてこなかった、怪獣をやっつけたあとの死体処理をめぐる前代未聞の物語だという。
公開から遅れに遅れたが、映画を視聴する機会を得られたので、曲がりなりにも多くの怪獣映画を見届けてきたひとりの人間としてレビューしてみよう。なお、当レビューの性質上、ネタバレが避けられないこと、著作権法上の理由で文章のみでの評価になることをあらかじめお断りしておく。
余談になるが、これを一緒に鑑賞したDiscordサーバーの友人らはぼくと映画の嗜好を同じくしていて、いわゆる「B級映画」を好んでいる。名だたるサメ映画にホラー映画、2匹目のドジョウを狙ったら地球が釣れたと思しき怪作など、様々な作品と対峙してきた手練である。
そんなぼくを含む彼らが音を上げた。
これで察してくれたのなら、もうここで筆を置きたいのだが。
結論から言ってしまえば、この映画は笑えないタイプのダメさを抱えた問題作である。
あらすじ
人類を未曽有の恐怖に陥れた大怪獣が、ある日突然、死んだ。
国民は歓喜に沸き、政府は怪獣の死体に「希望」と名付けるなど国全体が安堵に浸る一方で、河川の上に横たわる巨大な死体は腐敗による体温上昇で徐々に膨張が進み、ガス爆発の危機が迫っていることが判明。
大怪獣の死体が爆発し、漏れ出したガスによって周囲が汚染される事態になれば国民は混乱し、国家崩壊にもつながりかねない。終焉へのカウントダウンは始まった。
しかし、首相や大臣らは「大怪獣の死体処理」という前代未聞の難問を前に、不毛な議論を重ね右往左往を繰り返すばかり…。
絶望的な時間との闘いの中、国民の運命を懸けて死体処理という極秘ミッションを任されたのは、数年前に突然姿を消した過去をもつ首相直轄組織・特務隊の隊員である帯刀アラタだった。そして、この死体処理ミッションには環境大臣の秘書官として、アラタの元恋人である雨音ユキノも関わっていた。
果たして、アラタは爆発を阻止し、大怪獣の死体をあとしまつできるのか!?
そして彼に託された本当の〈使命〉とは一体――!? (amazon.jpより引用)
評価点
- セット、CG、プロップ類の出来は悪くない。
- キャスティングも申し分なし。演技に関しても文句はない。
批判点
- 設定、考証の粗さ
- 激しくブレる脚本の軸
- 所々に挟まる下品さ
- 中途半端な風刺
細かく、それぞれ見ていこう。
評価点1も2も、ともに潤沢な資金リソースで担保された舞台装置や俳優は素晴らしい。怪獣のCGは昼間の明るいシーンでは多少浮くものの、ここ最近の怪獣映画のCGとしては及第点以上だろう。主人公・帯刀アラタ役の山田涼介氏、ヒロイン・雨音ユキノ役の土屋太鳳女史の演技も好感が持てる。その他閣僚を演じた俳優も一線級の人物ばかりで、演技面での不安は特にないと言える。
この映画を救いがたいものにしているのは、この点3つだ。
「設定・考証の粗さ」
雑さと言ってもいいかもしれないが、これが特に目立つ。
「通常兵器で歯が立たなかった」怪獣の皮膚表面に穴を空ける、という作戦が立案され、アラタの手で実行されるシーンがその筆頭と言っても良いだろうが、ミサイルで殺傷できなかった怪獣にロケットランチャーと杭打機の間の子で穴を空けることができると普通は考えない。科学特捜隊のイデ隊員でもいるなら別かもしれないが、あいにく有能なメカニックはこの映画には不在だ。
ならばとダムを吹っ飛ばすことで遺骸を押し流してしまおう、というシーンにも安易なクリフハンガーを生み出すためにダムが二重構造だというのを後出しする。これでは残りを爆破しに行った発破のプロのブルース(演:オダギリジョー)も浮かばれない。
その他細々と粗さがあり、怪獣の死体に接近するときに一切の装備がないとか、シナリオがすすんで腐敗が進んでるのにガスマスクをつけないとかあるが、ここでは割愛する。
「激しくブレる脚本の軸」
これがこの映画を糞の山たらしめる最も大きなパートである。監督及びプロデューサーのインタビューを読む限り、この映画は三角関係を軸にしていて、なおかつ政治的風刺も含んでいるらしいのだが
怪獣はどうした!?
そう、怪獣の死体について話をすると言っておきながら物語の軸が怪獣にない。
あるのは複雑奇怪な男女関係と、ともすればイタい閣僚会議だけだ。
男女関係については無茶苦茶やっている。ヒロインの雨音ユキノは濱田岳演ずる雨音正彦と結婚しているが、元カレの帯刀と各所各所でキスシーンをキメる。正彦も細菌学者の女性に手を出していて、熱いベーゼをかます。これでは三角関係ではなく四角関係だ。雨音夫妻は恋愛結婚ではないことが終盤で語られるが、パッと見浮気の印象は消えてくれない。
閣僚会議に関してはすぐ下で触れるが、自己紹介どおり不毛だ。あんたの役所でやれ、なんでうちなんだ、エトセトラエトセトラ。怪獣映画は現場ではなく会議室で起こっていたのだ。おそらくは怪獣抜きでも成立するシナリオで、怪獣をなんらかの激甚災害にしても成り立ってしまう。もう口調を保つのも疲れてきた。どうしろって言うんだよ全くもうさ。
「所々に挟まる下品さ」
「中途半端な風刺」
これらはまとめて触れていく。
閣僚会議や、報道記者のぶら下がり会見中に出てくる比喩表現が下品でかつ意味不明なのだ。ほんとに。一部を引用してみよう。
「それは元カノに費やした金額をセックスの回数で割るようなものだ」
「石鹸を陰毛で泡立てるとよく泡立つ」
その他にも腐敗臭はウXコかゲロかとか、変なところで下ネタが多い。そんなん酷い悪臭とか、腐卵臭とか、アンモニア臭とかでいいじゃんか。
独特な比喩が悪いのではない。下ネタが悪いのでもない。意味不明なのが最も悪さをしている。意味不明なために聞き返すセリフが挟まるせいで、余計にテンポが悪い。
加えて、今作の怪獣は腐敗ガスにキノコの菌糸が含まれていて、腐敗体液を浴びたりガスに接触したりすると体表面からキノコが生えてくる。これはまあいい。
腐敗体液をまともに浴びた迷惑系YouTuberが出てきて、その彼の治療にあたっているところをふせえり女史演ずる環境大臣その他が見学する、というシーンにおいて、彼の股間には常に黒くモザイクが入っている。そこは全部キノコ生やしたってよかった。これも変な下ネタに分類できるだろう。股間を指差した環境大臣から、
「あそこだけキノコの種類が違う」
という指摘が研究者に向けて放たれる(これはあとのシーンで他の大臣もおなじことを発言する)が、それは誰がどう見たって彼のブツだ。言葉を濁さなければ男根だ。あんたその年でどうなんだそれ?という文句が思わず出た。
その他場外乱闘
場外乱闘とは銘打ったものの、この項はいわば映画とは直接関係ないいわゆる『ドラ』である。しかし、その特記性を鑑みてここに付記する。
この映画が公開したあと、オリコンニュースのウェブ上に中居・須藤両プロデューサーのインタビューが掲載された。以下がそのリンクだ。
映画『大怪獣のあとしまつ』プロデューサーを直撃「予想以上に伝わりませんでした」 | ORICON NEWS
一部を引用してみよう。
ラストの巨大ヒーローが全てを解決するというオチ、これは結局、「神風が吹かないと解決しない」という、ごく単純な政治風刺なのですが、これがほとんど通じておらず驚きました。本作の風刺的な要素に関しては、新聞世代(昭和世代)には概ね理解されて楽しんでもらえたようなのですが、特に、若い人々に伝わっていない事が発見でした。(須藤)
ここで問題にしたいのは別にカミカゼがどうこうの部分ではなく、ただ一点のみ、伝わっていない、通じていないと観客側に一切の責任を転嫁していることだ。確かに、全部を1から10まで説明する必要はどこにもない。むしろ「あれは一体何だったのか?」とか「あのシーンにはなにか特別な意味が?」とかあれこれ考えるのも映画鑑賞の楽しみのひとつだ。
しかし、情報そのものが飲み込めなければ考察もなにもあったものではない。若い世代ガーなんて言ってるが新聞世代ですら”概ね”なのだ、そもそものストーリーやら挟まれた小ネタやらが分かりづらいことを理解して欲しかった。
まとめ
ぼくが怪獣映画ファンであり、マニアだということを差し引いてもとてもじゃないがこの映画を怪獣映画とみなすことができなかった。この映画は失敗した風刺映画で、ギャグ映画だ。
風刺映画が見たいならもっとマシな選択肢はいくらでもあるし、ギャグ映画が見たいならそれこそチャップリン等の古典に戻ってもいいだろう。怪獣映画?国産ならそれこそ本当に掃いて捨てるほどある。わざわざこれにカネを出して見ることはない。もしもこれを見るとあなたが決めたなら邪魔はしない。ただ、カネをドブに捨てたいだけなら本当にドブに捨ててしまったほうが貴重な人生を消費しないから、まだいいかもしれない。
ここで余談だが、この感想文を書くことからも逃げて執筆開始からほぼ一月つかった。
大上段に構えたわりに遅れたことをお許し願いたい。
〈関連リンク〉
それではさよなら。またよろしくね。